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小嶋工務店五十年史 番外編
2016.07.20
おはようございます、小嶋です。
今日は曇り空ですが、あまり暑くなくてありがたいですね。
さて、昨晩からいよいよ『コジマBAND』の練習が始まりましたね、隣の部屋から聞こえてくる大音響が何だか夏を感じさせますね。
塚本課長や米谷さんの歌声が響き渡り、新しく吉川さんの歌声も入り...
とても隣の部屋で仕事ができる状況にはありませんね(笑)
もう開催してから10年以上となった『こじま祭り』、皆様お気軽に御越しくださいませ。
さて、数回にわたり記載していた弊社の歴史ですが、過去を書く為にお昼休みに、写真を引っ張り出していたら、何だか懐かしい事を思い出したので、今日は弊社の五十年史を一休みして違う事を書いてみたいと思います。
内容が少し過激なので、御不快な思いに感じたら申し訳ないので...
私は、今でもそうですが根拠無い事が好きではありません...
強いです、暖かいです、涼しいですと語る建築会社やハウスメーカーの巧みなカタログや、本に記載されている言葉の多くに根拠が存在していない事が昔から嫌でした。
何故なら、同じ耐久性や温熱環境を語るにしても、少なからず根拠があって欲しいといつも感じるからです。
現在の弊社の家造りは、住宅の性能に対して、根拠をどれだけ証明できるかという事へのチャレンジだと考えています。
ビス一本や雨漏れしない根拠等、実積をここ十数年でこさえ、数々のメディアや、国や地域のコンペにトライして受賞してきましたが、全ては社員一丸となって考えた住宅の性能への拘りからでした。
何故、根拠を追求する事に時を費やしたのか、此処までしなくてもいいんじゃない、売れればいいよ、造るのに手間が掛かりすぎるよ等、様々な意見ははありました。そんな過渡期の弊社に、外部から来た私の大嫌いなコンサルタントである、三上先生によって弊社は大きな一歩を歩み始めました。(この事は五十年史で詳しく書きたいと思いますね)
正直、幼い頃から酔っ払いや自慢話をする先輩が多かった事もあり(笑)、意味の解からない人の心までを破壊するコンサルタントが開催する研修会が大嫌いでした。
た、と書くと過去形になりますが、今もその気持ちは変わりません。(すいません怒られそうですが)
今から20数年前の、平成5、6年ぐらいに、精神まで破壊し会社に忠誠を誓わせようとする研修会が、上場企業を含めた経営者の間で流行りました。
現在でそんな事をすれば、直ぐにブラック企業と叩かれますが、その当事は当たり前のように開催されていました。
時に意味も無く穴を掘り続けさせたり、長距離を歩かせたり、一度精神を壊してから自分の至らなさを改善させ、会社に忠誠を誓わさせる、とんでもない研修会を仕切る輩が沢山いました。今でも頼んでもないもに会社にFAXやメールを送りつけてくるこの時代の残党は、当事のコンサルに味をせしめた輩ばかりです。
以前勤めていた大手ハウスメーカーの経営者も、バブルの崩壊と共に暗躍した、たちの悪いコンサルタント会社を頼り??に経営改善をしていました。
正直、その事業でさして実績を出せず、上っ面だけを如何にも上手に経営者に語る手法は、私は『人の生き血をすするヒル』だと思っています。
言いすぎかな(笑)
でも、こうしたコンサルタントを採用した経営者は必ず破滅の道を歩みますね、私が以前勤めていたハウスメーカーも、こうしたコンサルタントを採用し、私と親方(白田さん)がが退職して数年で事実上倒産し、社員の退職金も減らされメーカーに吸収するという形になりました。
何故、経営者自ら改革しないのか、何故、もっと経営者自身が勉強しないのか、自ら考える事を放棄して、尚且つ長年努めている社員を遠ざけ、資金繰りに逼迫しているのにも関わらずわけの解からないコンサルタントに何故大金を支払うのか...
そしてその輩は必ず、経営者(社長)にだけ心地よい言葉を使うと何故理解できないのか...
今まで何十人、何十回もの研修会に出席してきましたが、人の生き血を吸うような根拠ないコンサル会社が主催する研修会が多く、私はホンとに嫌でした。
正直、なるほどと感じたのはコンサルは2人だけです。
何だいるのかと言われそうですが、あまりにも少ないので言葉きつく話しました。
経営者が経営に迷い、すがる思いで依頼した時、得てして会社には何の利益も得ない最悪の状態になると思っています。
そんな中、数少ない尊敬できるコンサルとして、1人はあるハウスメーカーの販売担当の根拠ある話しがありました。
丸一日かけた研修の間、この私が(笑)夢中になり聞き続けましたから(笑)この方は、全ての会話に根拠があり、一時落ち込んでいた私を救い出してくれた人の一人として、今でも尊敬しています。
もう1人は、後に弊社の運命を大きく変える三上先生です。
三上先生については、弊社の歴史でお伝えしたいと思いますが、今では私の数少ない人生の先生となって心酔しています。
(弊社の大恩人、三上先生)
当事の最低最悪な研修会の思い出として、以前勤めていた会社の研修会がありますが、若い私にとって、苦い?思い出でしたから、未だにその時の事は鮮明に覚えています。
それは...
ある日、営業所の所長から、〇月〇日研修があるから全員参加するようにといわれ、毎日朝は7時に家を出て、夜遅く、12:09の終電で帰るほど働き、正直疲れきっていた事もあり、また研修なのかと心でぼやいていました...
中々結果が出ずにいた時期なので、しぶしぶ本社に出かける事になりましたが、心の中では、もう勘弁してくれと叫んでいましたね(笑)
(後輩と2人で現場見学会ばかり毎週のようにしていた時代です)
本社に行くと、今回の研修内容は、各営業担当が2人がチームになり、違う会社の営業担当として討論をするという事でした...
なにそれ、他の会社なんて知らないし(笑)っと、更にやる気がうせ、周りを見渡しましたが、参加している皆がそんな顔になっていました。
今なら少しは理解も出来ますが、当時のひねくれ全快の私には全く心に響きませんでした(笑)
(肉体的には大変でしたが、なんとなく楽しかったハウスメーカーの営業所時代)
ちなみに当事、私は26歳、そしてペアを組む事になったのが、後の弊社の販売部門長である、31歳の白田さん(私が白田さんを当事呼ぶ時は親方と呼んでいました(笑))でした...
正直、この当事は白田さんの事が嫌で嫌で(笑)、毎日のお茶くみをする度に恐くて(うるさいので(笑))恐れおののいていました(笑)
5組チームに別れ、Mホーム、Sハウス、Dハウス、S林業と各ハウスメーカーの担当が決まり、私達は何処のハウスメーカーかと思いきや...
白田と小嶋は工務店でっと...
あの時の白田さんの顔思い出すとホンとに恐いです(笑)、てめえのせいで工務店になったじゃねえかって(笑)
当然、当事の営業部長も私が弊社(工務店)の息子だと知っていましたから、ちょっとしたいじめですね(笑)
皆が討論まで2人で打ち合わせを重ねているのに、私と親方(白田さん)は...
タバコをぷかりとコーヒーを飲んで、まあ工務店じゃ勝てないから適当にやりますかっと、やる気が全く出ませんでした(笑)
ハウスメーカー全盛期の平成5.6年では、工務店なんて、ハウスメーカーの下請けぐらいにしか皆感じていなくて、正直、他のチーム全員が、他のハウスメーカー4社に対しての対策を綿密に打ち合わせしていました...
まずいきなり、大本命の私達の勤め先、Mホームと私達工務店の討論...
相手は先輩のエース級の営業マンが相手となり、横を見るとペアを組んだ、親方(白田さん)は...
全くやる気なし(笑)
(ハウスメーカーの下請け工務店時代の私です。)
しょうがないので、私が口火をきり...
『雨降りの建てかたの時、パネルの中に水が入ったら断熱材どうするんですか?』...
『防湿層の問題が日経新聞で掲載されていましたが、御社はどうするんですか?』...
と立て続けに質問し、先輩の営業担当者が、焦り防湿層についてミスをし始め、押せ押せになった瞬間、親方(白田さん)の目の色がギラっと変わり...
『大手さんはどの職人が来るかわからないし、まして下請けの半人前の大工もどきしかいないですよね、大工じゃなくて多能工??大八でしたっけ、内の棟梁とカンナがけ比べてみますか』っと、とどめの一撃を浴びせました(こういう瞬間はホンとに頼りになり親方(白田さん)は凄いと思います)。
相手方はぐうの音もでなくなり、なんと勤め先の大先輩率いるチームをなんと論破してしまいました(笑)
自ら勤務する会社を論破してしまい、研修所の雰囲気は最悪の状態でしたが、周りの目を全く気にしない、ひねくれコンビは次々とハウスメーカーを負かしてしまい、なんと最後まで勝ち抜いてしまいました(笑)
(髪の毛がある時代の私と白田さん(笑))
他のハウスメーカーペアから出る言葉は、『工務店の経営は不安定で倒産が心配』とか、『大工の力量がばらばらで工場製品に劣る』など、何時もミーティングで聞いた事ばかりでしたから、『工務店の経営より、人数抱えて5000円もするカタログばら撒いてるほうが大変でしょ、ボーナスちゃんと出してますか?だいた長時間労働させすぎなんじゃないですかね』とか、『半人前の大工しかいないから工場で造るんでしょ、なんなら内の棟梁に会いに行きますか、いい腕してますよ』って...
ペアを組んだ、親方(白田さん)が本気で工務店の社長に見えましたね(笑)
まあ、風貌は今もその当事も工務店の親父そのものでしたから(笑)
しかも、最後の捨て台詞は、何時も下請けの工務店の社長から聞いていた、『いいよねえサラリーマンはって』(笑)
正直、横で聞いていて、あんたもサラリーマンでしょうがって爆笑してしまいました。
研修会場で喜び、爆笑する2人を尻目に、営業部長や営業所長が露骨に嫌な顔を見せ、『お前らこの研修の意味を解かってるのか』とお叱りを受け、当事の社長からも睨まれてしまいましたね(笑)
でも、その時なんだか、ハウスメーカーの営業マンがホンと小さく見えたことを今でも覚えていますね。
脆いのなんのって、何時も威張り散らしている先輩が情けなく見えたのは初めてでした。
カタログ以外の事は全く無知で、家造りに対する信念なんて皆これっぽっちも持っていませんでしたから...
効率を追求して、薄い構造材を如何にも素晴らしそうにカタログで見せてはいましたが、親方(白田さん)も私も現場で苦労し続け、お客様に沢山お叱りを受けた事が、溜まりに溜まって、その時爆発したように感じました。
その後、別の研修会に2人で出席した時には、あまりにも精神を破壊しようとする、怒鳴り散らす研修会の司会者が...
『おまえら会社の役にたってないぞ解かっているのか』と言われ、私も親方(白田さん)も成績ランキングはその時上位だったこともあり
はああっと...
しかもこの時、親方(白田さん)は80数人中3位という成績なのに、罵倒され、しかも最後に新聞紙を丸め、
机を叩き『俺はライオンだ、必ず売るぞ、会社に必ず貢献致します』『毎日20件の訪問と、100件の電話を休まずするぞ』と20分叫べと言われ...
流石に、なんだこりゃっと半ばあきれてしまいました...
ふと、左隣に眼を向けると、親方(白田部門長)がイラついていて、露骨にキレた顔をしていて...
眼で私に『やれっ』と合図がきました...
名誉のために言いますが、私は元来我慢強いほうです(笑)。
当事の主従関係は絶対(笑)であり、上司の命令だと瞬時に理解して(笑)
仕方なく、ホンとに仕方なくですが、坊主頭のやくざ見たいな研修の先生様に、丸めた新聞紙を『あ、すべったっ』と投げつけ物凄く怒られてしまいました(涙)
やくざ顔の先生が激怒して、私を罵倒している中、私の左隣で、げらげら笑っている親方(白田さん)はホンとに悪魔だと思いましたね...
当事、こうした精神を破壊し従順な社員を育成しようとした事が新聞にも取上げられ、推奨され話題となっていましたが、こんな研修を採用した会社は、ハッキリいって経営者の無能さを自分で示したようなものですね。
こうした研修を真面目に捉え、真剣に参加した後輩や先輩、同僚は心病んで退社した人も多く、当事30人入社した新卒も3年目には2人しか残っていませんでしたから...
しかも研修費用30万円/人ですよ、その場に30人は出席していましたから...
皆で飲み会して団結したほうがいいだろに...
この時から、親方(白田さん)を、見る目が少し変わり...少しだけですが(笑)
嫌味な親父から、ひょっとするとこの人、ホンとは面白くて凄い人なんじゃと思い始め、近しく話すようになり、その時からずっと一緒に歩んできました。
そして今年で出会って22年の腐れ縁となりました(笑)
(最近は性格も頭も丸くなった親方と私(笑))
その後、ハウスメカーの営業所で縛られ続けた2人は、自分達で好きに営業できる弊社の営業所に行き、新しい工法や独自の販売手法を作っていきましたが、この話は五十年史で書きたいと思いますね。
私は、精神を破壊するコンサツタントや後付の数字、他社の真似だけを語るコンサルタントが今も嫌いです(笑)
人はそれぞれ良い所も足らないところもある、今は社長と部門長となった2人ですが、部下にしてみれば一番上司になってはいけないタイプかもしれませんが(笑)、世情に流されないコンビだからこそ、今の弊社があると思っています。
これからも、皆で新しい風を取り込みながら、世に必要とされる会社にしていきたいと思いますね。
昨日は、今年入社してくれた新卒の子達に研修会を開いた時、親方(白田部門長)との思い出を思い出してしまい、少々20代の時の口調で書いてしまいました(笑)。
あれから20数年、2人とも立派な??中年大人になりましたから、汚い言葉は御容赦くださいませ。
毎日のようにFAXやダイレクトメールで送られてくる、コンサルの宣伝...
どうか紙が無駄なので送らないでください(笑)お願いします!
メールや郵送は便利ですが、汗して働く事を忘れたらいけないような気がします。
これからも弊社は、汗して働く数少なくなった工務店を理想としていきたいと思いますね。
親方との思いでは山ほどありますので、五十年史のネタがきれたら合間合間にお話したいと思います。
まあ書けないことが大半ですが(笑)
さあ、朝日も登ったので、今日も一日汗してがんばります!!
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