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小嶋工務店五十年史 その5
2016.07.18
おはようございます、小嶋です。
今日は朝から三か月分の請求書管理をしています、どの業者さんへ幾らお支払いしてるのか、3月に一度行っていますが、昨年より7ポイント近くお支払額が増え、約束どおりにできている事に安堵の気持ちでいっぱいですね。
特に山側への支払いがここ10年で最高金額を記録し、沖倉理事長や中嶋社長との約束が守れた事にホッとしています。またソーラーサーキットの販売も過去最高となり、御尽力して頂いている、株主様にも心から感謝の気持ちでいっぱいです。これからも、共に発展していけるように日々努力し続けたいと思います。
さて、昨日までは凄まじい勢いで、時代の波に乗った弊社を記載しましたが、いよいよ会長の顔に苦悩が浮かぶようになってきます...
その原因となったのが、昭和42年から昭和50年頃、数度に亘り世を混乱させた出来事が、かの『オイルショック』でした。
今では数年に一度は、〇〇ショックと呼ばれるようになりましたが、この時が私の記憶している中では一番最初の世界経済からの不景気だったと思います。
この時代、車が各家庭に行き渡り、移動の手段として当たり前の時代とにっていましたが、そんな戦後と言う言葉が消えつつある少し豊かになっていた時代、弊社に中東の戦争が原因で起こった初めての不況が襲い掛かってきました。
今でも忘れませんが、この頃、鶏肉が夕食にでると嬉しくてたまらなかったのですが、ある日、質屋坂を登り切る途中にある焼肉屋さんに連れて行かれ、初めて目の前でお肉を焼く今では当たり前のスタイルに大興奮した事を覚えています。
そんな、少しずつ豊かになり始めた小嶋家でしたが、ある日突然会長の顔が曇り、明らかにイラついている様子が、幼い私にも見て取れるようになりました。
元来短気な職人気質で、今では仏のような顔をしていますが、当時は怒り出すと大変だった会長ですが、言葉が少なくなり、疲れた姿を見せるようになっていました。
この辺りから、新潟の会長の実家から私達の世話をする為に呼ばれた祖母に代わり、現在の母と暮らすようになりました。
日曜日の度に現場に連れて行かれた時代が終わり、会長との距離も少しずつ離れていってしまいましたが、ある日『今度、運動会をやる、おおきなお祭りみたいな運動会をやるからこのチラシを古い家を見つけて郵便箱に入れてきてくれ』と頼まれ、久しぶりに会話した事と、運動会という大きなイベントを会長がが主催できる高揚感、友達に自慢できる誇らしさで直ぐに自転車で配りにいった記憶があります(笑)
ちょうど創業10周年を迎えた時だと記憶していますが、現在はマンションが建っている府中のいなげやさん(昔のニチロ団地)の横の土地をお借りして盛大に行われ、同級生にも来て頂き、大きな音楽やマイクから流れる解説がとても誇らしく感じ、この辺りから学校では『社長の息子(笑)』が定着したように思います(笑)
辛い時こそ笑顔で前に進め...
個人的には派手な事は嫌いですし、高いものを身につける事さえ毛嫌いする私ですが、十数年前、世の中の雰囲気が落ち込んだ時、思い出したのがこの時の事でしたね。
社員の皆に『こじま祭りをやろう』っと(笑)
今月23日(土)に第12回目を開催しますが、最初は大変でしたね(笑)現業も忙しいのに、また何か言い出したぞって(笑)
昨年は、一日で200名の方に御越し頂き、4階の大会議室の床が抜けるんじゃないかと真剣に心配しましたが、知らず知らずと近隣の方からも、『社長、来年も楽しみにしてるからね』と言われるようになり、少しずつ皆が、やらなくてもいい『こじま祭り』から、『こじま祭り』があるから地元で支持して頂けているんだと理解してくれるようになってきました。
こうしたイベントを開催する時、必ず重要な役割をする人材がいます、純粋なくらい会社を愛し、私のやる事を疑いもせず信じてくれる人(笑)
腹の中では疑ってるかな(笑)
近隣一斉清掃(通称オレンジday)を開催する時も、真っ先に私の考えを理解してくれ、十数年もの間やり続けてくれる会社にとってアイドルのような明るい人材。
私が恵まれたのはこうした人材が側にいてくれ、代わりとなってやり遂げてくれる事が、最高に幸せだと思いますね。
時に時代の波に翻弄され、苦悩を顔に出した時でも、私には決して出来ない大きなイベントを会長は打ち出し、打破する気概は、現在の弊社の運営の大きな参考書となり受け継がれています。
規模は小さくなりましたが(笑)
弊社はどんな時代が来ようとも、地元でいつも元気な会社、辛い時ほど元気な姿を見せる会社でありたいと思いますね。
この後、昭和の50年代に入ると私の記憶の中から会社の事はほとんど無くなります。
あるのは、立川の展示場オープンと桜ヶ丘の営業所の二つぐらいです(笑)
どこの家庭でもあるように、男は仕事に夢中になり、息子は反抗期を向かえ、近かった距離は遠ざかり、会話も無くなるといった一般的な状態になっていきましたが...
正直、この辺りの会長はあまり好きでは無かったですね(笑)
なんだか、仕事に夢中になっている汗した男の顔から、顔つきが嫌な感じに見えましたから(笑)
この時の事があるのか、汗して働かない人が今でも嫌いですね(笑)
会社の規模も大きくなり、社員数も30名を越え、毎年のように新しい方がお正月になると我が家の現れ、懇切丁寧な工務店というより、ゼネコンを取り仕切る悪代官のように見えました(笑)
また変な事書くなと言われそうですが(笑)
近所に大きなビルを何件も造り会社が大きくなるにつれ、自宅には苦情の電話が入る事も多くなりました。そしておかしな職人が酔っ払って絡んで家にお金を貸してくれと来るなど、正直恐怖を感じたこともありました。今でも酔っ払いやお酒があまり好きではないのはトラウマですね(笑)
いちいち対応している母をみて、一度職人に罵声を浴びせた事もありましたが、あの派手な時代は本当に嫌でしたね(笑)
(聖跡桜ヶ丘の営業所開設のイベント、歌手を招いて盛大に行われました。)
地元の工務店という姿から、地域の建設会社となり、上場を夢見始めた会長はとどまる事をせず、更に事業の拡大を目指し新たな展開を実施していきますが...
これから先は、私の記憶にはほとんど無い状態になる為、此処からさきは古参の方や、会長の話を下に書いていきたいと思います。
私が一番好きだった地元の工務店から、大嫌いな地域の建設会社へ変貌をとげた弊社でしたが、昭和50年代は、弊社が一番成長(売上)を遂げた時代でもありました。
今思えば大切な何かを置き去りにした時代なような気も致しますね...
10数年前、弊社を再構築する時に感じたこの時代の嫌悪感は、私の世代では絶対にしたくないという反面教師となっていますし、時に会社を大きくしようと思い始めたときは必ず振り返るようにしています。
会社の拡大を考え始めると、愛社精神溢れる人材の言葉より、言葉巧みな新しい人の意見が心地よく聞こえ、古くから居てくれる人をないがしろにしてしまう傾向が経営者の方には多分に存在しているとお思いますね。
おかしな社員(思いの異なる)が多くなり、蟻の一穴となって大きな堤さえも崩す事になり、脆く負のスパイラルに陥ってしまう事を何度も他の会社で見てきました。
会社に長年居てくれ、裏切らない人こそ、会社の宝!
会話をせずとも互いを理解できる男が、弊社には沢山居てくれる事が、不況といわれる現在においても団結できている弊社のパワーの源だと思います。
魅力溢れる会長
頭の良い長男
二人の存在を参考にしながら、あらたな弊社(地元で永続的に必要とされる工務店)を、これからもこさえ続けていきたいと思います。
さあ、今日も一日がんばります!!
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