創業までの道程


発展へのステップ

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発展へのステップ

創業三年目になる頃には「小嶋工務店は真面目で良い仕事をする」と言われるようになり、仕事も多くなってきました。自宅兼作業場の庭先では手狭になってきた為、仕事場の為の土地を探し始めました。当時、事業所は府中市にと思っておりましたが、なかなか良い土地が見つからず、小金井市なら有るとの事でしたので見に行きました。土地は道路より低く古家が有りあまり良い環境ではなかったのですが、手を掛ければ良くなると思い、此処(現在の本社所在地)に決めました。昭和43年に100坪を1600万円で購入しました。個人で買ったのでローンの支払いで暫く大変な思いを致しましたが、ちょうどその頃に次男(現弊社代表取締役)が生まれた為、事業にも熱が入り、毎朝早くから夜遅くまで仕事に従事しておりました。

有限会社から株式会社へ

昭和43年に小金井市前原町に事業所を移し、その年に有限会社小嶋工務店を設立しました。購入した100坪の土地に16坪の事務所と作業所を造り、妻が事務と電話番をして、私は営業と現場管理をしておりました。増改築を含め八ヶ所の現場と営業を一人でやっていましたが、当時、大変だとは思いませんでした。そんな努力の甲斐か、仕事は自然に多くなって来ましたので、組織作りの事もあり、昭和46年に株式会社小嶋工務店に改称いたしました。翌47年から、地元での信用力を付ける為関係官庁の指名入札への参加も始めました。

ED工法との出会い

日頃から他社との差別化を図りたいと思っておりました。そんな中、建材屋の仲間から
「永大産業(株)が新しい工法を開発した」との話しを聞き、色々と研究してみると、今後は
国産材の減少から、このような住宅(ED工法)が日本でも主流になるとのこと。早速、
本社近くに土地を借り、この工法で建てた住宅展示場を造りました。当時ツーバイ材と
合板を3枚縦に張る工法は珍しかったのでしょう、時の農林大臣、桜内義雄氏が当社
展示場に視察に来られ激励を受けました。また、翌日には農林省長官が来られ、
ED工法の説明を致しました。そんなこともあってか、(株)小嶋工務店の社名が業界では
広く知れ渡るようになりました。ED工法も全国規模に普及し加盟工務店も大変多くなり、
私もこの仕事に力を入れた事もあり、皆さんから会長にと推され全国ED会会長を
数年務めさせて戴きました。その間、永大産業(株)の皆様には大変なご指導頂き
感謝致しております。

在来工法に夢を託す

お陰様で在来工法、ED工法共に仕事量は増えて来ましたが、両工法を柱に家造りをやることは、経営上のデメリットにもなり、
どちらかを主力にしなくてはならないと考え始めていました。色々と考えた末、多くの実績がある在来工法に決めました。
どちらの工法にも、長所、短所は有りますが、日本の風土に適しているのは在来工法だという判断でした。ただ、名前のように、昔からの工法ですので日本人の生活環境の変化で、対応しにくいところが出てきたのも事実です。しかし私は、在来工法でも
金物を使う事と、大工職の技術レベルを上げることで、お客様のご要望にお答えできる新しい家造りができると確信
していました。自由な間取、耐久性、斬新なデザイン、使い易さ等を、全てクリアでき、お客様にご満足頂けるお住まいを考案。
その時に創ったキャッチフレーズが『小嶋の手造り住宅』です。お客様にご満足頂けるお住まいを、精魂込めて造るのが小嶋の
手造り住宅です。お陰様で35年以上経った今でも住まい造りの基本としております。


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