創業までの道程


創業初期

一覧に戻る

東京に骨を埋める覚悟で

昭和40年の春、長年病気を患っていた父も健康を取り戻したので、私は、弟に生家を守ってもらう事を託し東京を第二の故郷と決めました。と同時に親戚から、「カズエ、お前が弟に生家を頼むという事は、財産全てを譲る事だ。」と、よく言われたものです。心の中では「俺には帰るところが無くなった」と、寂しさも感じる事さえありました。しかし、この時の私には、自分の好きな道に進める方が、より大きな価値のあるものでした。

そして、私が東京で仕事を続けて行きたかった理由がもう一つあります。それは、東京では、一年中、大好きな家造りの仕事が可能だからです。私の故郷では、11月になるとみぞれや、ヒョウが降り、本雪になると6尺(約1.8m)もの雪が積もるので、4月の中旬以降にならなければ仕事ができないのです。よく、新潟の人は我慢強いなどと言われますが、約半年の間、雪に閉ざされ、仕事ができる春を辛抱強く待つ続ける気持ちが忍耐力を育んだのかも知れません。

仕事を求めて

府中に引っ越して半年間、知人も友人もいない場所で、昭和40年7月1日を小嶋工務店の創業の日とし動き出しました。前文でも述べましたが、下請けは受けないので、一年近く仕事らしい仕事がありませんでした。困り果てたあげく、土地を購入し、建て売り住宅の販売を考えました。自分の預金全部と、購入予定の土地を担保に、信用金庫から土地代を借り、東大和市南街に50坪の土地を仕入れ、精魂込めて建物を造り売りに出しました。今、建売と言えば何区画もある分譲地を思い起こされるでしょうが、
一区画に一棟の建売です。「いい家を造ればすぐ売れる」と軽く考えていました。ところが一か月が過ぎ、二か月が過ぎても
お客さんが付かず、そのうちに建築費の支払いが嵩みはじめ毎日大変な思いをしました。

努力することがツキを呼ぶ

世の中は本当にわからないものです。三か月もの間、何の音沙汰も無かった
のですが、年の瀬も迫る11月25日午後、不動産屋2社が同時に2組のお客様を
案内してくれ、両方のお客様に気に入って頂きました。でも物件は一棟だけ。
「両方に断られたらどうしよう」と言う思いから、両方のお客様と話を進めてしまい、最終段階で片方のお客様を御断りするという苦渋の選択を強いられました。もちろん、お断りしたお客様からお叱りを受けたのは言うまでもありません。若さと、切羽詰まっての状況の中でしたが、大変失礼で申し訳ない事をしたと今でも思っております。やっとの思いで売れた建売のおかげで、支払いや借り入れも済ませる事ができましたが、この時以来、注文建築一筋でやろうと心に決めました。

仕事を求めて

創業2年目が過ぎた頃、創業当時トイレの修理を頼まれた隣の奥様に「自宅をお神楽(平屋の上に2階を造る)にしたいので、
小嶋さんに是非お願いしたい」と声をかけて頂きました。どんな、小さな仕事でも心を込めてやることが、何時か必ず大きな仕事に結び付くものだと痛感しました。その時の契約書は今でも大事に保管してあります。


ページの先頭へ戻る